料亭番伊
江戸時代創業。能登国七尾港の老舗料亭。
江戸時代創業。能登国七尾港の老舗料亭。
室町時代からの文化を引き継ぐ古き良き日本
能登半島には縄文遺跡や古墳群、平安時代の祠や寺社など数々の歴史が現代に残されています。海上交通が栄えた時代には能登半島の複雑な形状が能登全域をにぎわせ、たくさんの人・物・文化の流通拠点であったことを想像させます。
能登畠山氏が七尾城を築城してから約600年。定置網漁が文献に登場するのが約400年前。室町時代ごろからは茶菓子や酒醸造、海産物の加工、米の生産や炭焼き、製塩などありとあらゆる生活文化が能登一円で繁栄しました。中でも輪島塗や珠洲焼は現代にも引き継がれた伝統技術で、七尾は天然の良港「七尾湾」を有することから交易を中心とした商業都市として栄えました。
暖流・寒流が能登沖でぶつかることから、一年を通じて新鮮な魚介に恵まれるとともに、山間部の棚田で育てられた米・野菜、里山で育つ豊富な山菜、交易でもたらされる日本全国の珍味・食材と、能登は食材に恵まれたまさに「食の宝庫」です。商業都市としての発展を背景に、全国の貴重な調理方法を取り入れながら発展してきたのが「能登懐石」です。
鮮度の良いものほどひと手間を加えて最高のおもてなしにする。能登の風土と歴史によって研鑽されたお料理が私たちの誇りです。
地元に生きる皆様とのご縁を大切に歴史を刻んでまいりました。
番伊は港湾都市七尾の玄関口として栄えた府中町のもっとも海に近い場所にあります。江戸中期頃より船の長旅の疲れをとっていただくために料亭番伊の前身となる芝居茶屋青海楼を営んでまいりました。船員・積荷でにぎわう浜沿いに歌舞伎小屋・お料理・宿屋として活気にあふれていた様子が絵画として現在に語り継がれております。
七尾市街地には西暦600年頃を起源とする青柏祭(大地主神社の祭礼)が現代まで引き継がれており、その神事として日本最大級を誇る曳山「でか山」が運行されております。5月の申の日に執り行われるこの神事は番伊隣接の印鑰神社より曳き出され、丸2日間の運行の後、同神社に奉納されます。
番伊はまさに七尾の文化の玄関口として地元の皆様にご愛顧いただいております。能登にお立ち寄りの際にはお立ち寄りいただけましたら幸いです。