変わらない 日本
世界農業遺産「能登の里山里海」
世界農業遺産「能登の里山里海」
豊かな自然と共生する文化が息づく
能登に住む私たちは鳥や魚、野菜や果実など生活に密着した自然と共に生活を営んでまいりました。自然と共存し、豊かな恵みを得るとともに自然環境が持続するための工夫を重ねてきたとも言えます。2011年6月に豊かな自然景観、生物多様性、生活に溶け込んだ祭礼などの農村文化が色濃く残る能登は世界農業遺産(Globally Important Agricultural Heritage Systems)に認定されました。
能登には100年前と変わらない自然があります。能登の自然は私たちに毎日多くの恵みをもたらしてくれます。私たちは日々の自然の恵みに感謝してその旬の最高のお料理をご提供しております。
季節によってご提供できる食材は替わります。ぜひ一年を通じて能登の食文化をお楽しみくださいませ。
日本最大級の定置網漁で四季の魚介を供給
能登半島は日本海に突き出た複雑な形状をしており、その真ん中には能登島が浮かんでいます。海岸線の長さは300kmにもおよび、その沿岸に今でも自然が多く残っています。能登ではまだまだ当たり前ですが、海の浅瀬に「藻場」と呼ばれる、海藻が群生する場所があります。全国的には減少傾向にあり、船の往来の多いところでは藻が絶滅した地域もあります。
藻場は魚の卵のベッドとなり、稚魚の隠れ場所、成長するための貴重なゆりかごになります。能登にはこの当たり前の「藻場」があることで、近海魚が今でもたくさん漁獲されています。
能登半島沖は対馬海流(暖流)とリマン海流(寒流)がぶつかる潮目となっており、暖かい地域の魚、寒い地域の魚が回遊してきます。さらに、水深1000mを誇る富山湾には3000m級の立山連邦から栄養豊富な地下水脈が流れ込み、多種多様な魚が息づいています。まさに七尾市沿岸は天然魚の宝庫と呼べる場所にあります。
七尾市の漁業は富山湾側での大型定置網漁が主体となっています。四季を通じて水揚げされる多種多様な魚介はまさに七尾の宝と呼べるでしょう。
海からの潮風と能登のやさしい日差しが育てました
能登半島全域は穏やかな丘陵地となっており、日本海側(外海)沿岸では岩石質、七尾湾側(内海)沿岸では珪藻土や粘土質の土壌が多くみられます。海と山とが近い土地柄のため、人々が暮らす沿岸部にはあまり広く田畑を作ることができませんでした。その代わり、川沿いに田畑がつくられ、山中にまで棚田が広がっています。より多くのお米を作るための先人の知恵と言えます。
能登では湧水が多く、海の真ん中にある能登島にも真水が湧き出ているほどです。木々が茂る森のおかげで土地の保水力が十分確保されているからです。豊かな地下水脈が地表に顔をのぞかせ、田畑に潤いを届けています。そんな美しい自然の循環で能登の棚田は機能しているのです。
人々の手による棚田の耕作は目にも美しく、芸術といっても過言ではありません。人々の営みによってつくられる景観も世界農業遺産の一部です。人類は地球上に様々な建造物・構造物をつくっていますが、芸術のためではなく生活のために作り出した田園風景はどこか懐かしさを感じさせる、日本人の心と言えます。
未来に向かって積極的にこの田園風景を残す。そのためには田畑を作る人々の営みが持続しなければいけません。棚田で作った能登のお米は潮風に当たったミネラル豊かなお米です。能登の昔ながらの棚田米をぜひ御ひいき下さい。
神々と交流する伝統
祭りの国「能登」といわれるほどに、能登には多くの祭礼が現在に引き継がれています。能登は海・山からの恵みが豊かなことから農耕文化、漁業文化が色濃く残されております。
農耕の祭礼では、田植え前、稲刈り後に春祭り・秋祭りが多く獲り行われ、田の神様に感謝する「奥能登のあえのこと」は国指定重要無形民俗文化財に定めれれております。神々に感謝を伝える祭礼は七尾市の「青柏祭(せいはくさい)」「お熊甲祭」といった文化財指定を受けたものから、文化庁により日本遺産に指定された能登全域に伝わる「奉燈祭(キリコ)」、大漁旗を掲げた漁船が往来する恵比寿祭(能登地域全域)など、各地の産業に応じて祭礼が執り行われています。
我々が日常手にする自然の恵みが、決して我々だけの力では得られないことを先人が知っており、神に感謝するという形で自然を大切にとの戒めが現代に伝わっています。
能登では現代でも多くの恵みを自然から得ています。これらは、神々からの贈り物なのです。